HSPは普通の生活や仕事ができない?正確さもスピードもついていけないと感じる人へ
- S H
- 2020年4月2日
- 読了時間: 15分
2020-05-17更新 2020-04-01投稿
今回の記事は、仕事や日常生活において「スピードと正確さ、どちらも駄目だ。周りについていけない」と感じている方に向けて書かせていただきました。
最近、HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン。とても繊細な人)や、発達障害かもしれないという読者様が増えてきているので、時々加筆しています。
長文になりましたので、もくじをご活用くださいね!
もくじ
「自分はできない人間だ」と思う方へ

世界的に大きな試練や変化を迎えた今、「1日1日をどう生きるか」「自分らしく悔いのないように生きるには」といったことをあらためて見直している方も多いのではないでしょうか。
そんな中でも「自分らしく生きる余裕もない。仕事や身の回りのことで精一杯」という方もいらっしゃると思います。私も長い間、この状態を経験しました。
頑張っているのだけど、周囲から「できない人間」扱いされている状態。できないことは自分でも痛いほど分かっているけれど、これ以上頑張れない・どうしようもないことってありますよね・・・。
これらのことについて、少しだけスピリチュアルな切り口も交えて紐解いてゆこうと思います。
スピードと正確性、どちらもない人

まず始めに打ち明けると、私は「スピード」「正確性」のどちらにも秀でていません。
謙遜・自虐ではなく、客観的に見て「スピード」「正確性」は同世代の中で平均以下だと思われます。
そのうえ緊張しやすく、仕事などで人から見られていると頭の中がフリーズしたようになり、何も考えられなくなるということもしばしばありました。
もちろん対策も練りました。特についていけなかった職場では、家で仕事の準備をしておき、朝も早めに出勤して準備するなど工夫や努力を重ねていたのです。
それでも仕事が遅く、ミスや分からないなどしょっちゅうあり、結局毎日のように帰りが遅くなるのでした。
逆に心身を休めることに専念して、準備せずに臨んでもやはり駄目でした。
仕事ができる人は効率がよいのでしょう、余裕を持って働いているように見えました。さぼれるくらいの余裕を感じます。一方で私はあたふた走り回っていました。
私の場合、決してさぼっている訳ではないのです。むしろ真面目とは言われていて、自分なりにできることはしていました。(人よりも時間を掛ける、忘れがちなところはメモを取る、どうしても出来ないところは人に頼むなど)
それでも新人さんにいともたやすく追い抜かれ、同期の人には「あんな仕事簡単。何が分からないのかが分からない」と一蹴されたこともありました。
私自身も、自分がなぜこんなに簡単なことができないのか本当に不思議でした。自分でも嫌になるのです。
努力の差ではなく、根本的な能力の差は、やはりあるようです。
印象的だったのは、多くの人が「あんな暇な仕事、やってられない。時間が過ぎるのが遅く感じる」と口をそろえて言っているお仕事を私がした際に、
「これならできる。楽しい!」
と感じたことです。刺激が少なく、単調なお仕事でした。
昔読んだ本で「あんな仕事、馬鹿でもできるというか、馬鹿にしかやれない」といったようなセリフを見掛けたのですが、私はその「馬鹿」該当するのかな?とちょっと苦い思いをしました。
自分がいかに「仕事ができない人間か」思い知らされた気がしましたが、まずは一旦現状を受け入れました。
その後30代に入ってからですが、発達障害や知的障害の方、HSP(とても繊細な人)さんなど様々な方にお会いする機会に恵まれました。
そういった方たちと実際にお話しすると、私と同じように普通の仕事で苦戦している方も多いことが分かりました。
しかし彼女たちは素敵な魅力や素晴らしい才能を秘めていることも多く、とても「仕事ができない/使えない」といった一言で片付くようなものではないとはっきり分かりました。
この辺り、発達の凹凸やスピリチュアル*(霊性・精神性)という観点もやはり持っていた方が、人生の謎が解けるような気がしています。
(*スピリチュアル・・・ここでは、エンターテインメント的なスピリチュアルではない、霊性・精神性といったものです)
スピードと正確性、仕事でどちらを取るか

どちらが望まれているのか、何を目指すのか
では現実問題として、スピードと正確さのどちらを取るか、という話に戻ります。
特に仕事においては、職場のルールに合わせるしかない場合も多いものです。私自身、慌ただしい職場にいるときはついて行くのに精一杯で、スピードや正確性を調整する余裕もありませんでした。
一般的に仕事が「雑で早い人」と「丁寧で遅い人」どちらが望まれるかについては、PRESIDENT Onlineという有名なサイトの中に、以下のような記事があります。
結論として「質を保ちつつ、やや早め」というのが理想のようですが、私達はそれが出来ないから苦しいのですよね。
しかも私は「エラくなること」を望んでおらず、自分らしくすこやかに生きていたいと願っている変り者です。
「出世したいか」「マイペースでゆきたいか」のどちらかによっても、スピードと正確さのどちらを取るかは変わってくるかもしれません。
もちろん、職種自体を変えると要求されるものががらりと変わることもあります。どちらも全くついていけないというお仕事は、早めに辞めてよかったと思っています。
ちなみに今は、比較的自分でペース配分が出来る在宅ワークを中心に行っています。
完成を待たず、若干スピード優先
そんな私が、自サイトの記事を書く上で心掛けていることは「早めに出した方が良さそうなものは、【随時更新】などの注意書きを書いて出してみる」というものです。
あらかじめ「これはまだ更新があります」とお伝えしておくのです^^;
私の場合、文章に直す箇所が多すぎて、完成を待つと何年もブログは書けません。
つまり「正確さ」より、若干「スピード」を優先していることになります。それでも遅い方ですが・・・。
ただちょっと特殊な職業なので、あまり参考にならないかもしれません。次章で一般的な仕事の際どうだったかを振り返ってみます。
スピードも正確さもない人が活躍するとき
スピードも正確さもない私ですが、一般的なお仕事であっても、それなりに心地よく働いていた時期もありました。
補佐役、そしてEQ(こころの知能指数)のこと
前章で書いた「質を保ちつつ、やや早め」の仕事ができる人。
確かにそういう人は、職場で重宝されていました。小さなミスは後から修正したり他の人がカバーしたりできます。
「カバーする他の人」・・・そうです、私は意外とこれが向いていたのです!
仕事において特に目立った才能のない私ですが、仕事が早めの「デキル人」と組むと何だか相性が良いのです。
スピーディーにこなす先輩の横で、補佐するようなポジションです。
私は喜んで雑用を引き受けますし(雑用くらいの負荷が丁度いい)
出しゃばることもなく(目立つのが苦手なので丁度いい)
滅多に衝突しません(お相手もやりやすいようで、ありがたいことにまた一緒に組みたいと言ってくれます)。
基本的に自分に出来ないことをこなせる上に性格も優しい先輩たちを私は尊敬していますので、日頃から感謝や憧れの念を伝えていて、関係は良好なことが多かったです。
時々、冷たい性格の人に見下されたり馬鹿にされたりすることもありますが、そういった方は相性が合わないのだと思いますし、もしかしたら「EQ(心の知能指数)」が低めなのかもしれません。
(EQとは・・・自己や他者の感情を知覚し、また自分の感情をコントロールする知能を指します。参照:Wikipedia「心の知能指数」)
素直に感謝・尊敬できるという長所
過去記事でも書きましたが、できない人のほうが感謝の念を素直に持ちやすいというのはあるようです。
私が20代の頃、職場で、仕事ができる上に穏やかで優しい先輩がいました。その先輩はプライベートでも夫婦円満で(ラブラブというよりほっこり)、私にとって憧れでした。
当時の私は口下手でトークが全く得意ではありませんでしたが、憧れというポジティブな想いが素直に伝わっていたのか、可愛がっていただいていました。私の駄目な部分も、多少多めに見てもらっていたのかもしれません。
逆にどんなにこちらが誠実に、あるいは笑顔やユーモアを交えて接しても、全く冷たいままの人もいます。挨拶しても返してくれない先輩も、露骨に無視してくる同僚もいました。
相性の問題もあるかと思います。ただ、酷いことをしてくる人物は、別のところで問題を起こして辞めていくことも多いです。
あとはいくら仕事をこなせても、プライベートが大変で心に余裕がない人というパターンも多いでしょう。人間、それぞれの事情がありますので難しくもあります。
ただ、全ての人を理解しようとあまり無理し過ぎず(弊サイトの読者様は心優しいHSPさんが多いので特に)、まずは自分のいのちや心を自分で守ることを心掛けてよいと思います。
「平均以下」の私でも十分幸せに
仕事も遊びも豪快にやっている人から見ると、私のような生き方はつまらないように見えるかもしれません。
昨年も直接「今の仕事、暇でしょ?うちで働いたら?」と誘われるなどしました。
ですが、私は今の仕事を「暇」だとは感じていませんでした^^;
もっと時間が欲しいくらいですし、ゆっくり休む心地よさも知っているので自分なりにメリハリを持って過ごしています。あまりそうは見えないのかもしれませんが・・・。
一見「負け組」に見えているかもしれない冴えない人も、マイペースに充実しているということもあるのです。
これは負け惜しみでもなく上から目線でもなく、ただ「平均以下の私でも幸せになれた。充足感を感じている」という1つの体験談です。
フォロワーシップが高い、高めやすい
最近になって「フォロワーシップ」という言葉を知りましたので加筆します。恥ずかしながら今まで知らなかったのですが、TAKKさん (@takkhard2 )の2020/4/24のTwitterにて知ることができました。
フォロワーシップとは何か。一部Wikipediaより引用します。
フォロワーシップ(英: followership)とは、組織・集団の目的達成に向けてリーダーを補佐する機能・能力。(出典:Wikipedia「フォロワーシップ」)
前章で書いた「補佐役」はまさにフォロワーシップのことですね。
早さや正確さだけでは計れないもの

「スピード」と「正確さ」の両方苦手という人は、実はもっと別の能力や魅力が隠されているということも大いにあります。
■早さや正確さでは計れない魅力の一例(重複しているものもあります)
・個性、その人らしさ ・クリエイティビティ(創造的、独創性) ・EQ(心の知能指数) ・生きづらさを乗り越えた深い優しさ ・謙虚さ、純真さ、素直さ ・温かみ、安心、懐かしさ ・深い洞察 ・飄々としている
・量より質、それも独自の ・表現力、行間、揺らぎなども文化を生み出す ・昇華のエネルギーから生まれるもの
・次の時代に生み出されるもののヒントとなる (「生きづらさを感じている人がどうやったら生きやすくなるか」というのは世界の発展に繋がっていると思います)
・スピリチュアルなライトワーカーである などなど。ざっとあげてみましたが、他にも色々ありそうです。
人は、HSPなどの少数派、発達の凹凸が目立つ方、大器晩成型、ライトワーカーなど様々です。
もちろん生まれつき器用で色んなことを平均以上にこなすことができ、その上で「クリエイティブ・単純作業もOK・分け隔てなく優しい」など先述した素敵な要素を沢山お持ちの方もいらっしゃいます。
ですが、実際にそういう方と深く話すと、また別の苦労があることが分かります。
・自分ができるため、人のできてない部分が見えてしまう(だが、苛立たないようにする、揚げ足を取らない、恥をかかせない)
・「普通の人」と話が合わない、物足りない(だが、見下さない)
・実は陰で攻撃されていることも(だが、こちらからは攻撃し返さない)
・難易度の高い仕事など自分にしかできないことがあり、負担も大きい
その他トップランナーの孤独など色々あるものです。
限られた人生の中で選ぶもの

私は、どちらかというと人が退屈するような仕事を選び(私にとっては退屈ではない)、家に帰宅してから自分が興味のある分野を独学で学ぶなどしていました。これは今振り返ると中々よい選択でした。
習い事へ通うのは疲れるのと、人に気を遣うなどで労力が減ってしまっていたので、当時は家で行えるものの方が続きました。ただ、実際に教わった方が基礎が身につきやすいものもありますし(ヨガなど)、試行錯誤です。
資格取得等は、人より何倍も時間を掛けました。あまり厳しくない通信教育が合いました。今はデジタルで完結しているものも増えていると思いますが、テキストは紙媒体の方が目が疲れないように感じました。
こういった部分だけお伝えすると「家で勉強できるあなたが羨ましい」「地頭がいいのでは?」と言われることもありましたが、実際は地味に別の時間を削っていることがほとんどでした。
・当時、TVを見る時間がゼロに近かった
・食事はテキストを読みながら(お行儀が悪いですが)
・ワンプレートに盛り付けたご飯にするなど、洗い物も減らす工夫をした
・SNSを全くしていない時期もあった
・殆ど友人と遊んでいなかった時期も多い・・・などなど。

これらは、あまり苦痛ではありませんでした。自分らしく割と楽しくやっていたのです。
人生は有限ということをあたらめて意識せざるを得ない今、今世で本当に体験したいものを優先してまいりましょう。
特に「スピードも正確さにも自信がない」と感じているかたは、好ましくない物事に労力を使うのは勿体ないですよ☆
SNSなど交流の場について行けない(HSP?)
ここまでは主に仕事や勉強の面で書きましたが、SNSなどにおいても当てはまるかもしれません。
私は最近、久々にTwitter(@yuriha_hsp)を再開したのですが、まだほとんど発信していません。
ただ、ネットでの交流も工夫をすれば楽に使えることが分かりました。私の例をあげてみます。
私は現在「note」というクリエイター向けのプラットフォームを利用しています。
noteでは、読者様がニックネームのまま有料記事を購入できるシステムのため、大変便利です。
しかしnoteにはSNS的な側面もあり、相互フォロワー様が増えてからは、新着記事のチェックが追い付かなくなりました。
必ずしも全ての試着記事に目を通さなくてもよいのでしょうけれど、現代では「SNSにログインしても記事を読まれていない=避けている、嫌っている」と思われることも普通に起こります。
私は、HSP(敏感気質の人)の四大特性である「DOES」をもろに持っているため、中々苦戦していました。(私は超がつくHSPです)
■DOESとは
D=(Depth of processing)処理の深さ
O=(Overstimulated)刺激を受けやすい
E=(Emotional reactivity and high Empathy)感情的反応性・高度な共感性
S=(Sensitivity to Subtle stimuli)些細な刺激に対する感受性
高速で深く処理しようと試みてもそれは出来ず、読み落とした部分が気になってしまうのです。(個人的な感想ですが、スマホで見るブログの形式だと、紙媒体の時のようにフォトリーディングができなかった…)
これは私自身の気質や好みの問題であり、沢山のタイムラインが流れてきても、焦らずにできる範囲でさらりと読んでいかれる人も多いはずです。
それが出来なかった私は試行錯誤して、今はお仕事用のアカウントとプライベート用のアカウントに分けました。
そして「SNS的要素はTwitterにて。noteは自分のコンテンツ展開用である」と決めてから、気が楽になりました。(3月にアドバイスをくださった方々、ありがとうございます!お陰様で元気です^^)
さて、読者様もHSPであれば、先述した「DOES」によって情報量に圧倒されることもしばしばあるかと思います。
そのため自分のペースを守ると、人から何か言われることもあるかもしれませんが、気にしなくて良いのです。
無理に合わせるのではなく、あなたらしいままで心地よいと感じる人と交流したほうがお互いに幸せです☆
令和の試練の時代に「やりながら進化する」
ここまで書いたことを踏まえて、あらためて「スピード」と「正確性」どちらを優先するか、というところを見てまいります。
『孫子』に「巧遅は拙速に如かず」という言葉がある。どんなに上手でも完成まで時間が掛かりすぎるよりは、下手でも速いほうがいいという意味だ。(出典:PRESIDENT Online 仕事が「雑で速い人」vs「丁寧で遅い人」どちらがエラくなるか?)
こちらも、先述したPRESIDENT Onlineさんの記事より引用しました。
「どんなに上手でも完成まで時間がかかりすぎるよりは、下手でも速いほうがいい」・・・確かにそうかもしれません。
私個人の経験ですが、最初から完璧を目指していつまでもくすぶっているのであれば、未熟でもやってみる・続けてみるほうが、結果的によかったことが多いです。
やって後悔したこともゼロではありませんが(笑)、挑戦したという自信もつき、よき経験となりました。次に挑戦するとき、その経験が活きます。
インターネットが普及した現代においては、アップデートもしやすくなっています。
私自身も、納得いくような形に仕上がるまで待っていたら、いつまでも発信できていませんでした。昨年より、noteにて「やりながら進化」の提案をしてまいりました。
稚拙な文章ですが、それでも感謝や応援のメッセージをいただくことがあり、素直に嬉しいです!やってみないと分からなかったことです。
おわりに~あなたの命は再現できない
スピードも正確さも、どちらも持ちあわせていなくても、あなたがあなたらしく輝くことが何より素晴らしいと思います。
言葉にするとありきたりですが、明日どうなるか分からない世界です。自分らしく、悔いが無いように生きたいですね。
スピードや正確さはコンピューターに任せることができる部分も増えてきています。
しかし、あなたの命も私の命も、コンピューターで再現することはできません。誰もが唯一無二の命なのです。
私個人の感想としては、スピードや正確さも確かに素晴らしいですが、何よりも「命に優しい人たち」がとても好きで、尊敬しています。私もまた、そうありたいと思っています。
そして優れた美的感覚をお持ちの方の作品に刺激を受けています。色彩感覚の豊かさや霊的感性なども、素敵な才能だと思います。
今回はスピリチュアル度はやや少なめでしたが、「社会生活に合わせることが難しいけれど、スピリチュアルな世界ではその個性・気質がそのまま才能となった」というケースも多いですよ(^^)
・より深い記事や、お仕事の様子は「note」にて執筆しています。
よかったら遊びにいらしてくださいね!
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