HSP?そうでなくても、生きづらい私たちが対策・対処法を決める!
- S H
- 2019年4月16日
- 読了時間: 7分
2019-04-15
こんにちは。ゲストライターの小百合です。 新しい元号が発表されましたね。 そのせいかこの春私は、いつもにも増してフレッシュな気分でいます。 そこで今日は、新しい時代のHSP さんのあり方について考えてみました。

もくじ
今回の改元が特別な理由
昭和生まれの方は共感して頂けると思いますが、前回の改元の時(昭和から平成になる時)は今回のように「次はどんな元号か」と話題にするような状況ではありませんでした。
私は小学生でしたが、 昭和天皇が亡くなった1月7日、大きなお店はほぼ臨時休業、喪章を付けた日の丸があちらこちらに見えました。 テレビは2日間特別番組のみで激動の昭和を振り返り、コマーシャルは放送自粛だったそうです。
どんな雰囲気だったかというと、テレビ放送も町も静かで、厳粛な雰囲気に包まれ喪に服すような雰囲気だったと覚えています。 大人たちはあちこちで、昭和の、特に戦争中の思い出話をしてしみじみ、過ぎた時代を思っていたようでした。
一方今回の改元は、 新しい元号の予想をみんなでツイートしあったり、概ねとても明るい前向きな雰囲気で受け止められていましたね。
日本の天皇が生前退位されるのは200年ぶり。 こんなに前向きな気持ちで新元号を迎えることができるのは、実はとても珍しいことなんです。
新年を迎えるときに、抱負を思い描くように、 この機にぜひ、新しい元号「令和」を迎えるにあたっての抱負や希望を考えてみてはいかがでしょうか。
HSPを取り巻く平成までの流れ

(※画像は2013年第5刷のもの)
HSP が考案されたのは、1996年、エレイン・N・アーロン博士によって。 日本では2017年ごろからネットなどで盛んに論じられるようになったようです(私調べ)。
HSP に関する出版物も増えてゆき、正しい知識が次第に手に入りやすくなったと言えるでしょう。 最近ではHSP を対象にした、心理的セミナーや生き方セミナーなども盛んなようです。
一方で、 「HSP HSC は病気ですか」 「HSP HSC はどうすれば治りますか」 「HSP HSC と名乗って周囲への配慮を要求してるの?」 などの、誤解がまだまだ多くの方に見られるようです。
また、それに答えるかたちで、
HSP の繊細さや気遣いが、 多くの人より優れた才能であると強調し、 自尊心や承認欲求をくすぐり、 セミナーや有料メーリングリストなどに誘導する展開がネットで時折見られます。
穿った意見かもしれませんが、 HSP はまさに今、特大のビジネスチャンスと捉えられている気がします。 なにせ、お客様は5人に1人。日本だけでも2500万人の大市場なのです。
HSPの名札を外すことを提案します(賢く対処)

経済の自然な成り行きとはいえ、この状況はとても残念だと私は思います。
エレイン・N・アーロン博士がHSP を提唱したのはもちろん経済の発展のためではなく、1人でも多くのHSP さんに生きやすくなる方法や考え方を伝えるためではないでしょうか。
セミナーや講師や読み物の中にも、素晴らしい本物と言えるものもたくさんあると思いますが、 それにしてもこの頃、雨後のタケノコのように乱立していると感じます。
この記事を読んだ皆さんは、 是非賢い消費者になって、それらを賢く利用して頂きたいと願っています。
そのために、 HSP 対策や改善できることを様々な方法で学んだあとは、 もしも、HSPという名札が重すぎるなら、それを少し置いといて、自由になることを選択肢のひとつとして持って頂けたらと思うのです。
HSP は病気じゃない、の意味は

そもそも、英語圏でHSP は「とても繊細なひと」という意味でしかありません。
ところが英語に親しんでいない多くの日本人にとって、HSP と英文字で書かれるだけでそれはなにかと大袈裟な意味をまとうのです。
しかも、HSP の多くの人は生き辛さを抱えているのですから、 その理由として「HSP」が挙げられると、まるで生き辛さの原因の病のような、敵のようなイメージでとらえられるのでしょう。
しかし、 エレイン・N・アーロン博士も言うように、HSP は病気ではありません。
(病気じゃないんだから甘えるなという意見も散見されますが、私はその意見には反対です。)
つまり、色々大変なのはHSPが原因だから甘えとかじゃない。けど、無理に治さなくて大丈夫。ということです。 それどころか、楽しめたら楽しんでもOKなのです。 大胆な気質の人は、大胆すぎることに伴う危険に気をつければその気質を楽しむ事ができます。 それと同じように、あなたを苦しめているHSP 気質をほどほどに手なずける事ができれば、 細やかな事に大きな感動ができるなどの、繊細さの恩恵を受けてHSP を見方につける生き方を楽しんで良いということです。
HSPというグループに属するのだ。 治さなきゃ。なんとかフツウにならなきゃ。 と勘違いして、ひとり泣かないで下さいね。 あなたの名前はHSP ではありません。 HSPはあなたの特徴の一部でしかありません。
今HSP が語られるのは自然な時代の流れかも知れない

バブル期を経て日本人は、 経済的なダメージとともに、 豊かさに向かってひた走ってきた疲れを自覚するようになっていると思います。
平成では、その疲れが社会の歪みとして色々なかたちでようやく問題視されるようにはなってきました。
それでもなお、強いこと効率のいいこと豊かなことこそ目指すべきものとされている状況はまだ続いています。 効率の悪い存在、貧困の存在などを粗雑に扱って然るべしという雰囲気を感じることが、皆さんもあると思います。 みんな切羽詰まった、息苦しい、目まぐるしい、余裕なんかない、そんな雰囲気です。
そんな平成の終わりに、 HSPや発達障害やLGBTなどの観念が生まれた事により変わってきたことがあると思います。
今まで健常者と非健常者というほぼ二極化して捉えられていたものが、 そうではなくカテゴライズは多様なのだと捉えられはじめているということです。
このカテゴリーすらも今に増えていくでしょう。 すると世の中がマイノリティだらけだとわかるのです。 一見そうとはわからなくても、 行き交うひとりひとり事情がある事が常識になるのです。
決められたかたちになれない事で、 今まで傷ついてきた人々も、その周囲の人々も、 その人はそのままで大丈夫だと、 心から知るべき時代が来たのだと思います。
私は毎月この記事を書くために、Twitterや掲示板でHSPの方々の気持ちを知ろうと読みあさるのですが、 繊細さという特質を前にして、 「こんなんじゃ社会でやってけない」という苦しみがあちこちで見られます。 その「社会」とは決められた成果や完成形を強く、当たり前の顔をして要求する「社会」のことです。
令和には、人々がお互いの弱さを知り、 誰でもそのままでいられる時代に近づくのだと期待しています。 見えても見えなくても、普通と呼ばれる人々の何倍何十倍、何百倍も困難を抱えた人がすぐ隣にいることを、誰もが思いやる時代になって欲しいとも期待しています。
もちろんあなたもわたしも社会の一部ですから、 なんらかのかたちで今までの「ふつう」から外れた人々を知って思うことで、そんな時代を作っていけるのだと思います。
これが私の提案する、新しい生き方です。
まとめ
こんなハッピーな元号の変わり目は貴重なので、この機に目標や生き方を考えてみませんか。
私HSPなんだ、ショック。と思うなら、 生き辛さを手なずける術を覚えたあとで、HSP という名前から自由になっていいのかも。
HSP の中にも本当に色々なタイプがある。 HSP じゃない人々にだって色々な事情もある。 「だめな人間」で片付けないで、 少しの思いやりを、あの人にも。 あなた自身にも。
令和の時代はそんな生き方をする人が増えたら素敵ですね。
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