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一度も誰にも愛されたことがない(親・異性など)?スピリチュアルと現実

  • S H
  • 2020年3月8日
  • 読了時間: 16分

2020-11-24更新 2020-03-08投稿

※今回の記事も、まだ悩みのさなかにある方向けです。すでにシフトしておられるスピリチュアル上級者さんは、飛ばしてくださいね☆

長文になりましたので、もくじをご活用ください。

もくじ

  1. 1 スピリチュアルを実践しても愛で苦しむ方へ

  2. 1.1 スピリチュアルやシフト、現実的な愛

  3. 2 親からも愛されなかったら、自分は駄目なのか

  4. 2.1 心優しき人は、攻撃が自分に向かうことも

  5. 2.2 機能不全家族、傷付きやすさとHSP

  6. 2.3 超HSPでも楽になる!?

  7. 3 比較しないでいても、周囲から比較される?

  8. 4 褒められたことを否定しすぎている

  9. 5 本気で愛されたことがない時期と、具体的な対策

  10. 6 愛されたい女性にお勧めの本

  11. 7 生来の愛される要素、愛されない要素とスピリチュアル

  12. 8 完璧でない愛でも大切に。自分も人も完璧でなくて大丈夫

  13. 8.1 永遠ではない愛でも感謝してみる

  14. 8.2 執着を手放す。完璧でなくても愛は届く

  15. 8.3 友達・同性からの愛も素直にキャッチ

  16. 8.4 おわりに。書き換え可能な部分を変えてゆこう!

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スピリチュアルを実践しても愛で苦しむ方へ

スピリチュアルやシフト、現実的な愛

2020年3月20日(金)は、令和初の春分の日でした。スピリチュアル好きさんは「シフト(次元上昇)」を意識していらっしゃる方も多いと思います。

でもそんな時に、何故か ふと思い出したのは、昔ある男性からぽつりと打ち明けられた言葉です。

「自分は、一度も愛されたことがない。親からも愛されなかったような人間だから、他人にも愛されることはない」

といったものです。

・・・実際、そんなことないのですけどね。(なぜなら私は彼を愛していたから!)

ですが、このように「愛されたことがない、これからも愛されないような気がする」と感じている人は実は少なくないようです。

昔、知り合いの可愛らしい女の子も、次のようなことを漏らしていました。

「年上の男性から『親からも愛されたことがない奴が、まともな人生を送ることはできない。幸せになれるはずがない』と言われた」、と。

もう何年も前のことなので正確な言葉は忘れましたが、内容としてはそのようなものでした。まるで烙印を押されたような言葉に彼女は苦しんでいました。

当時、彼女は大きな悩みを抱えていて、「気にしない、受け流す」といった余裕が残っていないように見えました。

彼女と彼の間に何があったかは分かりません。もしかしたら、恋愛関係のもつれがあったかもしれませんし、売り言葉に買い言葉だったのかもしれません。

スタイルもよく、お洒落でとても可愛い女の子だったのです。愛される理由は沢山ありそうなのですが、彼女はとてもつらそうでした。

今改めて「愛されていないことについて・愛されることについて」、現実問題とスピリチュアルな観点も交えながら紐解いてみます。

親からも愛されなかったら、自分は駄目なのか

心優しき人は、攻撃が自分に向かうことも

まずは、「親にさえ愛されることがなかった人は、駄目な人間なのか」ということについて。

これは皆さんお分かりのように親から愛されなかったからといって、自分に愛される価値が無いということは全くありません!

ですが、当事者さんがそのような気持ちになることも、分かる気がします。(私自身のことはnoteで時々書いています)

親より子供の方が精神的に成熟していることも多々あります。

子供への虐待がある家庭、DVのある家庭、その他機能不全家族など、事情も様々です。10代の頃、友人が親に暴力を振るわれ顔に青あざを作ってきたこともありました。

そこまでは深刻でなくても、兄弟で差をつけられることなどもあります。

心優しく攻撃的ではないタイプの人は、親を否定し憎むより「自分が駄目だから愛されないんだ」と捉えがちだったかもしれません。攻撃が自分に向かってしまうのです。

親も自分も否定せずに赦し(許し)、心が平穏で自由になれるまでには一般的に時間が掛かるようですが、乗り越えることは可能です。

機能不全家族、傷付きやすさとHSP

私の知り合いに、「息子は可愛いけど、娘はちょっと・・・(可愛くない、苦手)」といった方、実際にいらっしゃいます。

昔の彼氏のお母さんは、「息子は可愛がっていたけど、娘はほったらかしておいたので悪いと思っている」とはっきり言っていました。

親も人間なので完璧ではないことは分かるのですが、実際に親から(可愛くない、苦手)と言われた側は、何とも言えない気持ちを抱えてしまうと思います。

私も、たまたま知ってしまったことがあります。家族が私のことを嫌いであるという書き込み(家族本人が書いたもの)を見てしまったことがあるのです。

同じ屋根の下に住んでいたので、中々衝撃がありました。何となく分かっていたものの、文字で見るとさすがに堪えました。

しかしそれも昔の話で、今は別々に暮らしているので気になりません。

「親子にも相性がある」と、摂食障害の本やアダルトチルドレンの本で読んだことがあります。確かにそうだなと思いましたが、接し方に大きく差をつけられてしまうと現実問題かなり大変です。

明らかに生活上の支障がある場合は、可能であれば準備して家を出たいところです。私も家を出て沢山のことが解決しました。

家族というコミュニティの風習に合わなくても、自分らしい文化の中でのびのび生活できる人も確実にいます。

ただ、もし場所を変えてもいつも苦しい場合は、自分自身に解決の大きな鍵があることでしょう。癒されていない部分があったり、手放した方が楽になる思考を持っていたりするかもしれません。

超HSPでも楽になる!?

私の場合、超HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン。生まれつき敏感気質の人)であることから、人より「快適」の幅が狭いような気がしますが、その幅の中で過ごしていると、とてもスムーズですので工夫しています。

「快適」の幅の中で過ごすとストレスも取れ、なんと「快適」の幅が広がるという、面白い現象も起きます。

また、自分の個性のまま、愛されて暮らすということも実現しました。

親や、その他親族から愛されていなかったり実際に不利益を被っていたりすることが長期にわたり、慢性的に鬱っぽくなっている方もいらっしゃいます。

「気にしない方がいい」というアドバイスを実行し気にしないでいると、人権が大切にされていないままということもあります。虎視眈々と抜け出す準備をしておくこともお勧めです。

ちなみに、「親への愛がない」と感じていたある人は、親御さんが他界されたとき悲しみが無かったそうです。それが良いとか悪いとかではなく、

「愛別離苦(愛する人と別れる辛さ)」

「怨憎会苦(怨み憎んでいる者に会う苦しみ)」

というコントラストに、改めて気付かされたのでした。こういったことは、美輪明宏さんのご本でも分かりやすく書かれています。

比較しないでいても、周囲から比較される?

過去記事でも少し触れたことがあるのですが、「一度も愛されたことがない」というのは確かに気になるテーマです。

「愛されたいなら、先にこちらから愛する」というのは、基本的なセオリーだとは思います。

しかし、先に愛してばかりで実ったことがない人も、愛する前に愛される人も、愛を返さなくても愛され続ける人も存在しています。

我儘に生きていても着飾らなくても性悪でも、生来の美しさで広く深く愛されている人だっているのです。

若い頃、私の友人は異性にとてもモテていたり溺愛されたりしていたので、そうでない私とのコントラストはより浮き彫りになっていました。

その頃はまだ引き寄せと出逢っておらず、

・私って何なのだろう? ・私だって好きでこんな容姿ではないのに ・自分を磨くにも、過食も酷くて中々他のことを頑張れない ・お金も無いし、親も助けてくれない

と、つらかったです。(※今なら若い頃の自分に感謝日記を含む引き寄せノート・認知行動療法等をお勧めしたい^^;)

気にしないで過ごしているときもありましたが、同じ名字で明るく健康的な美人の子が居たので、グループ分けなどの際「どっちの〇〇さん?」と男性陣がざわつき、私の方だと分かると露骨にがっかり・・・なんてこともあり。

自分が他人と比較しないでいても、周囲が比較してきて、それを流せず生きづらさを感じてしまうということはやはりありました。

そういえば今は、あれこれ比較してくる人はいなくなりました。あまりにも生きづらいコミュニティは抜け出すということも賢い選択の1つでしょう。

褒められたことを否定しすぎている

私は元々自尊心が低かったため、比較される度に傷付き、負の信念を強化してしまっていました。

傷付きやすさはHSP(ハイリーセンシティブパーソン。生まれつきとても敏感な気質の人)と関係があるかもしれません。私は「超」が付くHSPです。

HSPは高度な感覚処理感受性を持っているため、お世辞や社交辞令などを見抜くことも多いです。他の人は気付かないことにも気付いてしまいます。

ただし、真偽が100%分かる訳ではないので、慎重にもなります。

私の場合はこじらせてしまい、人から褒められることがあっても素直に受け取ることができなくなっていたのです。

何とも勿体ない失敗もしました。手の届かないような憧れの人から「あなたはとても綺麗だから」と褒められたとき、「(露骨に冷めた顔をして)私は違いますから」といった返事をしてしまい、その後の会話もそっけない態度をしてしまいました。

それ以来、憧れの人から明らかに冷たくされるようになってしまいました。

でも私は本気で「この男性は、皆に調子の良い事を言っているんだろうな。私が綺麗だなんて、無責任なことを言う人だ。馬鹿にしてる、それで喜ぶとでも?」と真剣に嫌だったのです。うーん、困ったものです。

ちなみに私は「醜形恐怖(身体醜形障害)」の傾向がありました。また、身体醜形障害だけでなく摂食障害でも偏ったボディ・イメージを持つことがあります。偏ったボディ・イメージを持つと、褒め言葉を全く信じることができない、ということもあるかもしれません。

褒め言葉も愛やギフトです。感謝して受け取りたいですね・・・(^^)もちろんビジネスや下心で言っている人もいるかと思いますので、浮かれ過ぎない、図に乗らないことも大切かもしれません。

本気で愛されたことがない時期と、具体的な対策

「褒め言葉はちゃんと受け取っているし、自分自身のことも好きなのに愛されない」、そういうこともあるかと思います。

私の体験談を1つご紹介します。・・・お馬鹿な話なのですが。

高校2年くらいの頃。お肌は荒れていて、友人から「どうしたの?」と言われる程でした。

ですがそれを放置したまま、ツインテールをして子供っぽいアイテム(例えば、ギンガムチェックのミニ・ワンピースなど)を好んで身に着けていました。

それはそれで楽しくもあったのですが、正直言うと、外見の癖が強かったと思います。センスが一般的な感覚とズレていたかもしれません。

それにも理由もあって(言い訳なのですが。笑)、体調が悪くてTVもあまり見れていなかったことや、当時両親とのコミュニケーションがほぼなく、眼鏡やコンタクトレンズを買ってもらえていなかったということもありました。

授業中は、度も合っていない人のおさがりの眼鏡を使い、それ以外の時間はぼやけた視界で生きていました。(人とすれ違う時も、ギリギリまで近付かないと顔を識別できないため、ギリギリまで見ないことにしていた)

後に自分でアルバイトをして稼いだお金でコンタクトレンズをつけると、自分の肌荒れ・髪の毛のまとまりのなさ・全体的な体のボリュームなどもハッキリと見えてしまいました!本当にびっくり。

電車の中でもハッキリと人の顔が分かります。そっか、皆こんな世界を見ていたのかと愕然としました。じわじわ近眼になっていたので分からなかったのです。

読者様はここまで極端なことはないと思いますが^^;、自分を客観視することは案外難しいものです。

成人してから歯科矯正などもして、見た目の印象は昔よりはとっつきやすくなったと思います。昔は子供の頃から歯科矯正していた子が羨ましかったのですが、大人になってからでも出来ることはありました。

そして体重を調整し、年齢相応の女性らしいファッションをしていると、昔より確実に異性に好印象を持たれるようになりました。真剣なお付き合い~街でナンパまで幅広く。

まずは「自分が好まれたい層に好ましく思われ、大切にされるであろう雰囲気」を意識するのもよいと思います。

愛されたい女性にお勧めの本

これまで私は様々な恋愛系の本(ハウツー本、スピリチュアル本、心理学系の本など)を読んできましたが、真面目に愛されたい!と願う方にお勧めなのは次の2冊です。

■素直に「愛されたい」という方。

■結婚したい。別れのある愛や、体目的は嫌だ。生涯を共にするパートナーが欲しいという方。

純粋にお勧めの2冊です。※Amazonアソシエイト(アフィリエイト)を利用しているので、好まない方は新しく検索してみてくださいね。

生来の愛される要素、愛されない要素とスピリチュアル

生来、“愛されやすい要素“ を沢山持っている人というのは確かにいます。その時代・その国で美しいとされる容姿に生まれた人、根っからの愛嬌の良さがある人など。それは神様からのギフトだと思います。

世間では、「子供や赤ちゃんも美人が好き・信用する」、「仕事やパートナー選びも容姿が美しい方が有利」なんていう説もあります。(オフラインのあちこちで耳にしましたが、最近ネットで見たのはこちら。参照:Peachy「子供は『美人を信用する』と判明」)

しかし美しい彼女たちも、陰で大きな「負」を背負っていることがあります。過去記事でも書きましたが、性的な被害にあった・家庭内に大きな問題がある・実は重い病気を抱えているなど・・・。正負の法則でしょうか。

とは言え、生来 “愛されやすい要素“ が少な目の方でも、同じように深刻な悩みを抱えていることもありますよね。

「大変さ」を比較することはできませんが、その時代・その場所で愛されにくい要素を沢山持って生まれた場合、それはやはりチャレンジ精神の旺盛な勇敢なたましいがそういった肉体・シナリオを選んできたのだと思います。

また、人気のある容姿や気質などでなくても、多様性(幅広く性質の異なる群が存在すること)、個性などによって自分らしく素晴らしい経験をすることもできます。なので、それもやはり神様からのギフトなのかもしれません。

※そもそも「愛されやすい要素」というものは曖昧で、所属しているグループによっても容易に変わるので “ ”(ダブルクォーテーション)で区切らせていただきました。

完璧でない愛でも大切に。自分も人も完璧でなくて大丈夫

永遠ではない愛でも感謝してみる

私がかつて愛していた人が「自分は愛されたことがない」と言っていたことは、私にとって寂しいことでした。私の愛はカウントされていないのかと(^^;)

しかしよく話を聴いてみると、なるほどなぁと思うこともありました。

私は当時、彼との結婚のめどが立たなかったので別れを選んだのでした。私は彼に、永遠の愛を届けることは出来ませんでした。届けたかったのですが・・・。

結婚に至らなかったから、待てずに別れた女性(私は、「結婚に至らない恋愛」イコール「彼は私と一生を共にする愛や覚悟は無いのだろうな」と思った)

本気で愛されたことがないと感じる男性(彼は、「結婚」という条件付きの愛を要求される負担があったと思います)

でも、もし付き合っていた時代にプロポーズされていたら、確実に結婚していたでしょう。正直、彼と結婚し、生涯を共にしたかったのです。

神様から見たら、私達はお互い様だったのかもしれません。

今となっては、彼から愛をもらったことも事実だと思いますし、彼を愛したことも事実だと思っています。

完璧でない愛も「愛」だとカウントして、感謝すること・・・ただし、こだわりすぎないことも大切なようです。

執着を手放す。完璧でなくても愛は届く

世間でも広く言われていますが、恋愛は「執着」を手放した方が、よりよい方向に進みやすいです。

誰かへの執着を手放すことで、新たに他の人から愛され、すんなり上手く行くということもよくあります。(※一般的には男性から告白された方が上手くいく・長続きすると言われています。しかしジェンダーレスの時代ですので、当てはまらなくなってくるかもしれません)

私自身はと言いますと、執着を手放すことが課題で、かといってゼロにはなりませんでした。寂しがりやの甘えん坊。

それでも、一歩ずつできることをしていたら、私にものすごく執着してくれる・・・いえ、愛してくれるパートナーが現れました^^;

そして、あまりにも執着されると「愛し返す暇もない」という感覚も知りました。

あまりにも束縛されると「心が休まらない、息苦しい」という感覚も知りました。

体験しながら学び、歩んで来ました。時おり派手に転びながら。

生来の “愛されやすさ“ が少な目のかたでも、「体験しながら学び、歩を進めること」は、きっとできると思います。

完璧でなくても未熟であっても愛は届くので、「素直に喜ばしく生きること」「(褒め言葉やその他ご厚意など)感謝して受け取ること」などが大切なようです。

友達・同性からの愛も素直にキャッチ

今振り返ると、学生時代、友人から言われたように皮膚科へ行って肌荒れを治していればよかったと思います^^; 耳の痛い言葉でも、核心をついていることって案外あるものです。

また当時、同性の友人から「ゆり葉が男だったらいいのに!彼氏になって欲しい」なんてことも言われていました。「完璧」でなくても、愛されていたのです。

しかし「友達からの愛もありがたいけど、異性(恋愛対象の人)からの愛が欲しい!」という本音もあるかと思います。

■友達と恋愛、様々なパターン

・同性から好かれても意味ない ・同性からも好かれない

・異性から友達としてしか見られない ・異性の友達がいない

・同性の友達もいない ・今は、友達は要らないかも? ・そもそも、どこからが「友達」?「知り合い」ならいるけど!

・・・などなど、本当に様々なケースがあると思いますが、インターネットが普及している現代社会です。ネットを通じて自分に合う人と出逢うこともあります。実際に結婚に至ったカップルも身近に居ます。

どこに出会いがあるか本当に分からないものです。目の前のご縁を大切にしながら、歩んでゆきたいですね。

おわりに。書き換え可能な部分を変えてゆこう!

冒頭に書いた一文、「愛されたことがない、これからも愛されないような気がする」。

これについて、「愛されたことがない」ことも、「これからも愛されないような気がする」ということも、変えてゆけます。

前半はどこまで「愛」とカウントするかで変えられますし、後半はもちろん今すぐ書き換え可能です。

もしどうしても「愛された経験がない」と感じるのであれば、「愛されたことがないので、これからは愛される人生を創造していく」と決めることができます。

これからを変えてゆくため、今、少しずつより素敵な行動を選択してまいりましょう・・・(^^)

長文をお読みくださり、ありがとうございました。

※2020-03-13加筆

本日、このページの誤字等を修正していると、ちょうど「note」にて、ライター・エッセイストの吉玉サキ様が、記事に私が撮影した画像を使用してくださったというメール通知がありました。

それもタイトルがモテないのは誰も悪くないというもの。とてもタイムリーでビックリしました。シンクロニシティですね。

なお、私もnoteを利用しています。スピリチュアルやHSPについて、より深く触れています。よかったら遊びにいらしてくださいね。


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